シャッター通り(その1)
最近「シャッター通り」という言葉は広く知られている。
主に地方都市の旧市街の商店・オフィス等の閉店が続き、シャッター閉鎖状態の町並みを言う。近年の地方の人口減少、郊外型大規模店舗の進出、車による買い物スタイルの定着・・・が原因と言われており、今や地方行政の大きな問題点の一つ。
北海道のいくつかの財政破綻の自治体ほどではないが、我が故郷でもある群馬県前橋市も全国でも有名なシャッター通り商店街を抱える。
以前、同窓会で訪れた際の驚きをブログに記載したが、深刻で悲しい現実。
http://hydro2-cycle.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_d571.html
この時の同級生の言葉がずーっと気になっていたのだが、原因を探っていくと古くは1970年代からの日本の成長過程の施策が根底にありそうだ。
「行政による施策」
1956年の「もはや戦後ではない」の経済白書以降、58年の「東京タワー」竣工、64年の「東京オリンピック」開催と続き、日本は急激な経済成長を続けた。
そして1972年田中角栄内閣が発足し「列島改造論」を唱え、「新幹線」と「高速道路」によって地方と都市部を短時間で結び、過疎化の進む地方都市の活性化、都市部の過密化・公害問題等の解決を図るとしたものである。
これには当時の通産省、建設省、厚生省等の各省が呼応し多くの施策が推進された。
全国の高速道路網の整備計画、東海道を始め新幹線整備計画、本州四国連絡橋(神戸淡路鳴門自動車道、瀬戸大橋、瀬戸内しまなみ海道)等。
更に、通産省による「テクノポリス構想」が発表され、1983年「高度技術工業集積地域開発促進法」(テクノポリス法)が成立、先端技術を中心とした産・学・住一体の街づくりが推進された。各種都市構想、民活法、地方拠点法等が次々に策定され、オフィスアルカディア、リサーチパーク等が実現に向けて推進された。
現在の「筑波研究学園都市」「京阪奈学術研究都市」「みなとみらい21」「東京臨海副都心建設」「千葉新産業三角構想」・・・・に繋がっている。
厚生省ではグリーンピア構想(大規模年金保養基地)が発表され、年金資金の運用先として「グリーンピア」、社会保険庁では「厚生年金休暇センター(ウェルサンピア)」等。
こうした構想・開発行為は不動産・建設関係を中心とした「はこもの」政策であるため田中内閣は「土建屋内閣」と言われ、後の土地の高騰・狂乱物価を招き土地神話論・土地本位制等が謳われ90年代の不動産バブル崩壊に繋がるわけである。
日本国内の道路、鉄道整備は進んだものの所謂「ストロー現象」により、繋がった地方経済・文化等が都市側に吸取られる問題が発生し、東京一極集中或いは大都市圏中心の経済構造へと変化した。
行政側は企業の成長性を頼み、グローバル競争下に於けるコスト競争等企業活動の実態・変化を読みきれず、企業側もバブル期は永遠に続くかのごとく、多量の製造・研究開発拠点を手当てしたのである。
しかし、テクノポリス構想等による地方拠点作りは想定通りにはならず、都市郊外に大規模研究学園都市等のインフラ投資が成されたが、多くは企業未進出のままとなり、企業サイドはバブル崩壊後こうした多くの資産の圧縮を行わざるを得なかったのである。
この結果、各都市の旧市街は人々の生活様式が変化する中、何等対策を取られることなく取り残されていった。
これに対して、今後は当初ビジョンに囚われない柔軟な施策が必要となっているが、既に構想が崩壊したテクノポリス等の条件・用途等を抜本的に見直し、所謂「コンパクトシティー」等も念頭に新たな都市計画策定を行うべきだろう。
但し、官主導のはこものではない、地域の住人が生活に必要なインフラとは何か、住み易さとは何かを民主導で行うべきだ。
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